キューバ🇨🇺葉巻旅

葉巻とキューバについてな🇨🇺ディープな話

葉巻こそ我が人生🇨🇺銀座を離れたあの日キューバ逃避行編その3

キューバに🇨🇺行ったことのある人は、大体訪れたことのあるだろう、エルアルヒーベ 旧市街と新市街の間にあるのだが、早い、安い、普通、の二拍子半揃った、キューバではまあまあな店だが、隣に小さな葉巻屋があり、かなりの確率で掘り出しものがあるから、必然でよく行くが、現地ガイドには、人気は無い、特にエライネ。行くと言うと露骨に嫌な顔をするwまあ行き過ぎたからだが、私も毎日吉野家だとやな気分になるから同じだろうw

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こんな感じ、黒豆カレーみたいな奴だ。まあ美味いが、キューバの実力はまだまだ深いが、何よりも時間の惜しい私には有難い。ほぼゼロタイムでお馴染みなランチセットメニューが出てくる。で、餌を済ませたら、隣の葉巻屋に顔を出す。刺青君も一緒だが、エライネに色々質問していた。まあ的確な質問だが、エライネがめんどくさそうだwキューバ人には一度に沢山の質問はしてはいけない、ウザがられるからw絞った一個を回数に分けて聞こう。で、そこからいつもの葉巻屋ルートに入って行く、メリアコイーバ、リビエラ、ナショナル、メリアハバナ、辺りだ。このぐらい回れば大体買い揃えられるが、まあ刺青君にハバナを案内する目的も含めて色々回った。その夜は、間違いなく旧市街の何処かで夕飯を食べた筈だが、何故か覚えていないw 多分、、、カテドラル広場の景色の良いグリル料理の店に行った筈だ。エライネが、行きたがったから。で、そのよるは、翌日からバラデロ散策の為、レンタカーでぶっ飛ばす予定だったので、ホテルの一階のバーで、葉巻を嗜む事にした。アンボスムンドスの一階のバーは、サッカー好きのよく喋るデカイ図体のセキュリティと痩せ型で眼鏡の無口なサッカー好きのバーテンダーの2人だ。その2人にモヒートをご馳走したら、デカイセキュリティの方は喜んで飲んでいたが、無口なバーテンダーは、飲まずに金だけ受け取っていた。まあ奢られた側の自由だw エライネは、確か翌日休みだがバラデロには付いてくると言うから着替えて準備すると言う事で早めに帰って行ったので、4人でサッカーを観戦しながら葉巻を吸っていた。リーガエスパニョーラだったと思うが、何処との試合かは覚えていないw何故なら私は、眺めていただけで、葉巻を吸いながら翌日のプランを考えていたから。結局、後半になると、門も閉めて、電気も消してテレビの電気だけで飲んでいた。場末感が、

ブラックラグーン 架空の街 ロアナプラにあるいつも、マシンガンとロケット砲で破茶滅茶になるバーの様な雰囲気だ。ファビオラが訪ねてきそうな夜だった。その後、刺青君にもう1つ仕事を、教える。

まあただの絵葉書描きだが、これが出来るには日頃から、手紙を書きなれている必要があるが、刺青君世代はメール世代だから、酷く手こずっていた。翌朝、朝ごはんを食べに行くぞと誘いに行ったら死にそうな顔で、全く進んでいない絵葉書の山があり、いや竹中さん僕はやめときます。もう少し絵葉書描きます。と、憔悴仕切っていた。しかし、私が書いた絵葉書の5分の1にも満たない。私は無職なんで書いてもしょうがないから、書き方だけ教えてやったが、刺青君が拘ったのは、店の名前と自分の名前の書き方。いや、違うぜ絵葉書は、どれだけ熱意が乗せられるかだと言った覚えがある。しょうがないから一人で最高の景色な朝ごはん会場で、キューバ🇨🇺のコーヒーを飲みながら、自らの次の人生を模索していた。なんせ、ゼロからだ。この時の私は、バーテンダーという仕事をもう一度する気は全く無かった。15年、失敗ばかりではあったが自分の中で精一杯生きたと後悔は無かった。精一杯やり、そして破れたのだ。私は、反省はするが後悔はしない。あれほど愛した街を離れる事に一抹の寂しさはあったが

もう前を向いていた。キューバ🇨🇺に移り住む事も頭をよぎったが、うちの子達はまだチビだ。私の責任はまだ果たせてはいないと、私が稼げる全ての事柄を頭でシュミレションしていた。ちなみに、私が店をクビになったとキューバの友人達に話したら皆が皆、これからはコウキの時代だ。クビなんてセキサイテイグじゃないかと皆んなで私を慰めてくれた。

有難い。彼等はいつも明るい。そうこうしているとエライネが、迎えに来た。仕事の時も早いが、遊びの時は更に早い。バラデロに向かう為レンタカーを借りに行く。行くと言ってもアンボスムンドスの一階のビジネスセンターだが、中国車と韓国車、どちらが良いかと聞かれたが、迷わず韓国車だ。中国車は、壊れてもキューバにはJAFはいないからwと言う事で今回は、ここまで次回は、バラデロ編