キューバ🇨🇺葉巻旅

葉巻とキューバについてな🇨🇺ディープな話

葉巻こそ我が人生🇨🇺銀座を離れたあの日 キューバ逃避行編 その6

再びやってきた、ハバナの朝 やはり行かねばならぬ

フィデルが演説して、フィデル亡き後も献花に訪れた国民が、150万人集まったあの広場へ。ガルマザビも足下にも及ばない。革命広場に。

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写真はいわゆる、ゲバラの方では無い。ゲバラより私は好きだ。カミロ シエンフェンゴス だ。飛行機事故で若くして亡くなった。何が好きかと申しますと、名前が好きw で、右下のコメントはこうだ。

【いいだろうフィデル】だ。死ぬ前も死んだ後も偶像崇拝を禁止した。偉大なるフィデルカストロには

出来ないから自慢のコメント。まあ遺族か?誰か別の人が考えたんだろうがセンスある。本人は50年以上前に死んでるからw その後またまた、葉巻屋巡りだ。本当に葉巻屋しか行かない。酒もビールかラム🥃 つまらない旅だw あ、仕事だったw その後見習い君がキューバ🇨🇺で、キューバ人の女性と大人の文化交流会をしたいとの申し出を受けまして、私が交渉してあげた。因みに、この時は見習い君の要望でピンクのクラシックカーを手配していたのだが、このタクシー運転手に私が、頼んだ。

f:id:kouki50927:20180706065655j:image最初は、私が交流したいのかと思っていたので、ふっかけて来たが、見習い君が行きたいのだと言うと、なんだという顔をした。で、見習い君にボラれないように100cucを持たせて行かせた。後で、聞いたら、俺が行かなかったからタクシー運転手は、道端に歩いている普通の子に交渉して見習い君は大人の交流会を、開いたらしい。この時は、私は気分が乗らなかったので行かずにホテルに戻り仕事の算段をしていた筈だ。帰ってきた見習い君は、どうやらまけにまけてもらい、60cucで、事に及んだらしいが、まけてもらった分戦いには負けたらしいw その後、サンホセの民芸フリーマーケットに行きたいというから連れて行ってやった。記憶にあるのは見習い君が、民芸レベルの安もんヒュミドールを、購入した事か?確か150cucだった奴を100cucにしてもらった筈だ。キューバの女性より辛うじて高いw 覚えているのはそのくらいか?

まあ記憶に残らない旅だった。まあその後、見習い君を帰国させた後の一人旅は、大スペクタクルだったから、大変良く覚えている。で、少し飛ぶが翌朝

エライネと一緒に見習い君を空港まで送って行った。彼は、仕事で1週間だが私は帰国は決めていないwだって無職だからw キューバに人生を模索しに来たのだ。空港まで見習い君を送り、キューバ税関での立ち振る舞い、成田空港での税関処理。私は一度、スルーしようとして捕まって学んだので、業務通関に詳しいw何事も失敗から学ぶのだw しかし、その後

見習い君は、成田税関に拘束されたらしい、私が親切にも書いて渡した原価計算の表が仇となりかなり長い時間やられたみたいだ。会社の指示か、個人の判断が分からないが、私の失敗が活きなかった。が、見習い君にも勉強になったろう。その更に後の話は私は知らない。まあ気にもしてない。私の最後の銀座での仕事はここで終わった。いみじくも、銀座最後の日は、キューバ🇨🇺ホセマルティ空港のイミグレーションに見習い君を見送った処で終わったのだ。全く実感は無かったが、今思えばあれが私の最後の仕事だったと思っている。で、エライネを連れてまたハバナに戻って行った。途中、レンタカーにガソリンを入れて、何処か遠出をしようと言う話になった。するとエライネは、荷物を取りに行きたいというから、エライネの実家に寄ったのが、エライネのママに始めて会った日になる。えらく歓迎を受けた。が、この時の話はまた次回。