【葉巻こそ我が人生】再開キューバが開いた日 ロックダウン解除直後のキューバ🇨🇺 ハバナベガス竹中光毅
さて久しぶりにまたブログを再開するのだが、、、何処から書き始めようかと過去のブログを読んでみたが
相変わらず俺楽しい🤣自画自賛して見ましたが、うーむアレから随分時が流れたので、悩んだが、やはりリスタートはこの辺りからキューバ葉巻高騰のスタートはココから始まって居たあ。と言う事で行きます
キューバがロックダウンしたのが、2020年の3月25日
そして再び国が開いたのは同年の12月頭、その間の
約9ヶ月間中東とヨーロッパにて買い付けを行い、何とか会社を存続させて来たが、やはり本国キューバ🇨🇺に
入れない状態での日々は、まさに死闘だった。俺だけじゃない恐らく世界中数多の人々が生き残りをかけた
生存競争を過ごした時期だったと思うが海外輸入業である私は混迷を極めた。本業は、葉巻の輸入だが、この時期は正に何でもやった。フランスからの高級食材の輸入もやったし、海外への日本食材の輸出も行った
何とか命からがら過ごしてやっとの想いでキューバの首都ハバナに降り立った。この頃は、まだワクチンは
必要は無く、PCR検査証明書で入国出来たが、初期のPCRは何せ高い、、、1回5万位した。この年の私の
年間のPCR代金は当社の税理士に言われたが、、、年間300万を超えた😂一回の出国で最低4回必要だったから1回の渡航で20万掛かる計算になる、、、検査だけ
なのに酷い出費だが遊んでるわけじゃ無い会社存続の危機を乗り切る為の仕事だったから、それでも私は日本を飛び出した。まだこの頃は、コロナ自体が解明途中で、ワクチンも始まり始めたか?ぐらいで日本の空港は人なんか居なかったが、ヨーロッパのHUB空港であるパリは沢山の人で溢れていた。そして満を辞してキューバ🇨🇺ハバナに降り立った時の空港のターンテーブル前の写真が最初の写真だ!皆んな凄い荷物だ。理由は、2つ、1つは幕開けのキューバは、一回目のPCR検査証明書で入国した後、キューバ指定のホテルで1週間隔離された後、もう一度PCRを受けて、
陰性なら晴れて自由の身となりホテルからハバナの街に出れるのだ!なので1つは1週間分の自らの食糧を
皆抱えているのだ、私も漏れずにこのような荷物内容になっておりました。
爆裂していた。部屋からも出られないつもりだったので保存食が山積み、カップラーメンだけだと飽きるだろうから米と炊飯器、電気囲炉裏に餅と海苔何かも
持ち込んで完全に籠城する気満々な荷物だった。
が、実際は、ホテルに寄って部屋に完全に隔離なホテルと時間を区切って食事の時だけ、ホテル内のレストラン迄は移動出来るホテルとに分かれていた。私は、
行く迄知らなかったが、後者で朝ご飯と夕飯は、一回のカフェテリア迄降りて行き、食事をした後、1人につき2リットルの水を配給して貰い部屋に戻ると言う暮らしを丸1週間過ごした。
因みに前後してしまうが、9ヶ月振りのロックダウンを抜けてハバナの空港前で久しぶりのキューバの空気を吸った写真がコチラだ、我ながらアホヅラだ。
そして、荷物が多い理由の2つ目が、随分遠くなったが、もう一つの理由も食べ物だが私のでは無い、キューバに住む友人達の分だ!我が国も食糧自給率は低いが同じ島国だからキューバもめちゃくちゃ低いのだ!
という事は、9ヶ月もロックダウンしていた国の物資不足は、半端では無い!無いものだらけだ!なので、私だけでは無くこの時期にキューバ渡航して来た人々は、すべからず大量の物資を限界ギリギリ迄抱えて飛んできていたのだ。私も大量に抱えて来ていたから
皆んな凄い荷物だった!因みに、初期のハバナの
隔離ホテルは、幾つかあったのだが、私は、仕事柄ホテルの中に葉巻屋があり、部屋で葉巻が吸えて、なるべく中心街に近いところと言う事と、Wi-Fiが間違いなく入る点から、ハバナの中心に位置するホテルハバナリブレ🏨後にも先にもこの時にしか泊まった事の無いホテルだが、景色は最高だが部屋はイマイチだ😅
しかしながら、もの凄く由緒正しく、あのフィデルカストロがキューバ革命の時に、作戦本部を置いた老舗、レトロを通り越して博物館クラスのホテルなのだ
沢山の歴史を見てきたろうし、その現場にもなった筈のホテルなのだ!まあ現代にて、泊まるには色々難があるので、感傷に浸りたい人以外にはお勧め致しかねます🤣と言う事で空港からホテルに連れてこられて1日目、景色が良くて部屋も割と綺麗だが、シャワーの水圧と排水に難がありありだ🤣けれども、初日は比較的快適に過ごしたと思う。
このような感じだ。しかしながら、問題は、いや、
葉巻高騰の原因の一つでありキューバが🇨🇺今も、酷い状態になった理由がこの月の15日から始まるのだ、、
私は、葉巻高騰の原因はここから始まったと今でも思っている。と言う事で、次回は、激震が走ったキューバの悪手だ!